今月10日は上皇ご夫妻の御結婚記念日でした。3年前の、御結婚から60年のダイヤモンド婚に際しては、お祝いの報道やテレビ特集番組がたくさんありました。

私は同じ63年前の4月生まれです。母は、産院のテレビで御成婚のパレードを見ていたと、かつて懐かしそうに話してくれたことがありました。

いつものヨミトリとは違う話題ですが、実は、私が重度の障害のある方の意思表出支援の活動をするに至ったきっかけの、始まりの始まりは、当時皇太子殿下であられた上皇陛下の御成婚を記念して開始された内閣府主催の青年海外派遣事業(内閣府HPより)に、私が昭和50年代後半に海外訪問団の一員として参加したことでした。

私は子どもの頃から、人に思いを伝える手段の一つである「言葉」にとても興味がありました。思えばずっと通訳・翻訳等、主に外国語に関する仕事やボランティア活動で言語に関わって来ました。
当時、青年海外派遣に応募したのも、学んでいたスペイン語で、なかなか行く機会のない中米の国の同じ世代の人達と交流したいという気持ちからでした。

私が参加した、中米の一国を訪問する班は団員が13名。皆、全国各地のそれぞれの地元で青年活動やボランティアなど社会貢献活動に取り組んでいる、誠実で快活な人達でした。事前研修の初日から皆、意気投合し、その一致団結ぶりは、いくつかあった訪問班の中でも際立っていたと他の班の団員から後に羨ましがられたほどでした。

出発前には全団員で東宮御所へ、当時皇太子殿下、妃殿下であられた上皇陛下と上皇后美智子さにご挨拶に伺いました。懇親会で、御二人の中米班団員に対するユーモアのあるお言葉、美智子さまにおかけいただいた温かいお言葉、優しい笑顔は生涯忘れることができません。 

訪問国での3週間の交流・研修活動を無事終え帰国した後も、団員同士で連絡を取り合い、何年かに1度同窓会と称して、団長を務められた大学の先生をお招きして共に親交を深めてきました。30余年を経た今もずっと交流が続いているその仲間の中に宮城県出身の団員がいました。 

時は流れました。

外国語に関わる仕事やボランティアの活動もずいぶん長くなりました。通訳や翻訳は日本に来られる外国の方々のお役に立てるという大きなやり甲斐がありましたが、30年の間に、海外に赴き、現地で生きた言葉や人々の生活の様子に触れる機会がだんだん少なくなり、外国語通訳としての限界も感じ始めました。また、外国語とは違う分野でコミュニケーションのお手伝いをする活動をしたいと思う気持ちも芽生えてきました。ただ、漠然と思うだけではっきりとしたビジョンは持っていませんでした。

2011年に東日本大震災がおきました。

青年海外派遣で共に中米を訪問した宮城県出身の団員の政さんの地元も津波で壊滅的な被害を受けました。

命は無事ながらも自宅は半壊となった政さんは、その自宅もそのままに、被災した地域の方々の支援に奔走していました。ここ名古屋で私が当時関わっていた国際交流グループの有志から何か被災地の応援をとの声を受けていたこともあり、私たちは日持ちのするクッキーを焼き、政さんの住む地の子どもさん達に贈ることにしました。市議として障害児者施策を政治活動の柱としていた政さんはメッセンジャーを引き受けてくれて、クッキーを特別支援学校の小学部・中学部・高等部の生徒さんに届けてくれました。

翌2012年、古い友人のユーコが、小中学生のアメリカでの交流プログラムの引率ボランティア(シャペロン)として渡米しました。現地滞在中のユーコの宿泊先を提供してくれた女性、ジェイミーは、ガーディアンという、地域の障害のある女性達の自立生活を支援する活動をしている人でした。

ある日、ジェイミーがユーコにたくさんの素敵な手編みの帽子を見せながら言ったそうです。

「私が支援している女性が編んだこの帽子を、東日本大震災の被災地の子ども達にプレゼントしたいの。冬寒い地域と聞いているので、この帽子で子ども達の耳と、心も温まってもらえたら」

すぐにアメリカからユーコがその申し出を知らせてくれました。

震災後、政さんにメッセンジャーの労をとってもらいクッキーを支援学校に贈った後、校長先生から丁寧なお礼状をいただきました。そのお手紙にはクッキーを手に笑顔の小学部の生徒さん達の写真が添えられていたことを思い出しました。

喜んでもらえてよかった。でも、やっぱり自分で行ってお届けすべきだった。

諸々の事情で宮城に行って直接お渡しすることができなかったことがずっと心残りだった私に、ユーコからの知らせは、アメリカから被災地の子ども達を想ってくれている心温かい方々がいること、そして今度は自分がメッセンジャーとしてその贈り物を届けに行けるチャンスかもしれないという、二重の朗報となりました。

望みが叶い、同年の12月にユーコともう一人の友人モモちゃんと3人で、宮城県の支援学校をお訪ねして、アメリカからの手編みの帽子の贈り物をお届けするというメッセンジャーの役目を、今度は自分が果たすことができたことは本当に大きな喜びでした。

実は、支援学校中学部の重複障害のクラスの生徒さん達に帽子をお渡しした時のことが、今、ライフワークとしている意思疎通支援の活動に私を導いてくれたのでした。

重複障害のクラスの生徒さん達は障がいの程度の差が大きく、はじける笑顔を見せてくれる生徒さんがいる一方で、重度の障害を持つ生徒さんは、いろいろな色や柄があった帽子から、自分で好みの物を指したり言葉で言うことができませんでした。表情からもわからなかったので、先生や私たちがそれぞれの生徒さんに似合いそうな物を選んでお渡ししたのですが、

一所懸命考えて選びましたけれど、

生徒さんは、私が選んだ帽子を気に入ってくれているのだろうか。

本当は別の帽子がよいのではないか。

かぶり心地はどうですか。

私にはわからないけれど、もしかして何か言ってくれているのでは?

知りたい!

生徒さん達の気持ちが知りたい!

アメリカの障害のある女性達が編んでくれた手編みの帽子を、現地コーディネーターのジェイミニーからのメッセージと共に、支援学校の生徒さんにお届けするという目的を無事に果たせた安堵感、そして高等部の障害の軽いクラスの生徒さん達とは、言葉を交わし帽子の感想を聞いたり、学校生活のことを教えてもらったりして過ごした体験をアメリカの支援者の方に報告できる喜びを感じながら、同時に、自分の中に新しい一つの種がまかれたことを感じた貴重な瞬間でした。

それから、重い障害があって意思表出に困難を持つ方々の思いを知る方法はないのだろうかということについて、いろいろ考え始めました。

その少し前から視覚障害の方の音声図書製作のお手伝いはしていたものの、障害や福祉の専門的な知識は乏しかったので、本を読んだりインターネットで調べたり、猛烈に調べました。漁るように情報を探している時に、國學院大学の重度障がい児の教育が専門の柴田保之先生のサイトを知り、出かけて行った東京での勉強会で偶然地元愛知県在住の閉じ込め症候群の患者さんの存在を知りました。

また、いろいろ学びの場を提供してくれる施設や人を知り、

そうやって出会い、つながって、今、私はコミュニケーターとして重度の障害があって発話や身体を使った意思表出に困難を持つ方々の思いを伝える活動をしています。

青年海外派遣事業に参加したこと。

宮城県出身の団員、政さんと出会ったこと。

震災は未曾有の大災害でありましたが、

名古屋から送った応援クッキーを、政さんが支援学校の生徒さん達に届けてくれたこと。

ユーコがアメリカでジェイミーと出会ったこと。

一つの人生の中で、それは偶然なのか、必然なのか。

よくわかりませんが

出会い、つながりて、

今、さらに大きなネットワークとなりつつあります。

技能としてのヨミトリは、デバイス化(ヨミトリ君)という進化を遂げました。

今、一つの使命を与えられたことにあらためて感謝しつつ

今日もヨミトリとヨミトリ君をがんばります!


この記事は、2019年4月にはてなブログ「今日もヨミトル!」に
投稿した『つながり、つながりて』に加筆し、修正を加えたものです。
上皇ご夫妻の弥栄をお祈りし、
ヨミトリの活動に関わってくださっている皆様に
厚く御礼申し上げます。

ご一緒しましょは、技能と技術を心でつなぎ、障害のある方のコミュニケーションを支援します

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